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浅草ビューホテルと浅草


浅草あさくさ)といえば、誰もが知る下町台東区の中心。浅草寺 を中心とする繁華街が広がります。
下町とはいえ、戦前は東京随一の繁華街として栄えてきました。特に関東大震災以前は、浅草タワー
といって、高さこそかないませんが、現在の東京タワーに匹敵するほどの超有名スポットもありました。
関東大震災と戦災で壊滅的な被害を受けましたが、そのたびに目覚ましい復興をとげてきた町です。

高度経済成長期以降は山手線沿線の新宿や 、池袋 、渋谷 などの発展で、東京を代表する繁華街と
しての地位は他に譲る形となりましたが、最も江戸情緒を感じさせる代表的な観光地としていつも賑わ
っています。

浅草の歴史を紐解きますと、「吾妻鏡 」の昔(1181年)に浅草の名が見られるそうです。それだけ古くか
ら浅草寺の門前町 として栄えていたわけです。

また江戸の港 や品川港 と並んで代表的な港である浅草の港が、石浜(現在の台東区橋場)や今津
(現在の台東区今戸町)にあったとされているとのこと。

江戸時代 にはいりますと、明暦の大火 (1657年 )の頃、新吉原遊郭が浅草にできました。そして天保の
改革 (1841年 )では遠山金四郎の命により、芝居小屋が浅草に移転してきたので、ここで大きく仲見世が
発展し、後の一大繁華街となるきっかけになったそうです。


明治時代 には当時の東京市15区の名前の一つに「浅草」が採用されました。また浅草寺を中心とした
地域を明治時代に公園化し、東京初の都市公園である浅草公園となりました。

その浅草公園を6つの区に分けたことから、浅草公園六区とも呼ばれ、一番にぎやかだった地域である
第六区の名残が、今の浅草ロック(六区)になっているのだそうです。

明治時代に凌雲閣 (通称十二階)=浅草タワーなどが建てられ、江戸以来の繁華街として新たに演芸場
や芝居小屋等が建ち、東京庶民の歓楽街としてつとに有名になりました。

関東大震災以降は松竹が進出。戦前は、有楽町に進出した東宝と興行を競い合ったのだそうです。
戦後は松竹歌劇団(SKD)の本拠地である国際劇場やロック座 、フランス座 などのストリップ興行で賑
わいました。

また、関東大震災後は、東武線と日本初の地下鉄である銀座線が乗り入れました。
浅草は今でも下町 らしさを残した観光地として活気にあふれています。

   

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